2011/06/27

考えていた事と考えていく事 (1)


3.11の震災前、私は山口県上関の上関(祝島沖)原発建設問題に関心を持っていた。
祝島住民が命がけで建設の反対運動をしている姿を、毎日USTREAMで観ていた。
それまでの私はと言えば、どちらかと言えば原発は無い方が良いが、もし、仮に国の言う「安全でクリーンなエネルギー」であるのならば、それは良いことなのかもしれないという、何とも中途半端な考えを持ち合わせていたように思う。

ただ、これだけ「市民運動」という括りの外、現実問題として29年間もの長い間に渡り、反対運動をしている人達がいると言う事は、「偉い人達」が言っている事は本当の事では無いのかもしれないと考えるようになった。
そして、祝島での出来事を知っていくうちに、中国電力の原発建設に対する、人を人とも思わぬような強引な押し進め方に腹がたった。

その時にmixiに投稿した日記を読み返してみた。



【時代はかつて、まわっていたものだと伝えたい】 
 2011年2月22日02:46

今まではネット上で社会的な話は避けていたけど、今回ばかりはちょっと・・・。

上関原発の報道は殆どされてなくて、mixiニュースでも2件だけ。
この事を知ってるひとはtwitterやUstreamで見た人が多いんじゃないかな?
これでもミュージシャンの端くれなので、電気の恩恵をほかの人よりも受けているんじゃないかと思う。
パンのためとは言え、オール電化取り扱いの会社にもいた。
うさんくさいと思いながらも、どんなものか知りたくて入ったけれど、調べてみたらやっぱりうさんくさい。

オール電化にすると、深夜帯の電気が安くなるプランに変わるんだけど、何が良いって深夜に余ってる火力発電の電気を使えるわけだ。
なんで節電を電力会社が呼びかけるかって、昼間は送電する電力が足りなくなるから。
実際、電線とかの設備を変えれば大した問題では無いんだけど、それには莫大なコストがかかる。
だったら、電力消費の時間帯をフラットにすればいいって寸法さ!(男性声優の日本語吹き替え調風)

太陽光発電だって、今の所は昼間発電したものを昼間に使うだけで、余った電気は売電するって形。しかも太陽光のパネルを作るのに、何をどれだけ使うのか。
まぁ、IHは使い方によっては便利だと思うけど・・・。

昨今流行の「エコ」って言葉は、本当の事を上手に隠す言葉として利用されてるんじゃないかと強く感じている。

中電がプルサーマルのCMを流していて、「原子力エネルギーはクリーンなエネルギーで安全だ」とうたっているけど、本当に安全なら原発周辺の住民や、今回の上関町祝島の住人に10億円もの金を渡す必要が無い。
電力会社の大株主、電力会社をスポンサーとしているところ、そんなのは大企業やマスコミなんだから、例えばテレビで報道されないのは当然か。
日本という国のお金の問題、環境の問題、子どもの問題、色々あるけど、今一番カネと票を持ってるオジサマ方が生きてる間には、彼らに関係のない未来の話。
でも、今の私たちには直接関わってくる話。
少子化が問題?
あんたらが子ども産もうとしなかっただけら?(もちろん色々な状況の方がいるので、気分を悪くされたかたがいたら申し訳ありません。) だとか。
学生運動だとかしてたくせに、結局は社会の体制に飲まれてしまってるわけだ。

それだけ体制というモノは変わりにくいものなのかもしれないけど、それでも「自分には関係ない」って言うのはもう駄目でしょ。
「最近の若い奴は駄目だ」って、そんなん昔から変わってないでしょ。
その「若い奴」が経験積んで変わってくだけで。
今のオジサマたちは、オバサンみたいに礼儀もマナーも無い人が大勢いらっしゃるようにお見受けするんですが・・・。
若い子の方がよっぽど挨拶も出来て礼儀正しい気もするんですが。。。
ま、人は色々だから一言で不特定多数のことを表現出来ないと思うけど。

時代は今までまわるものだったけど、色んなことを下から観察してると、それも変わってきたんじゃないかと思うことがある。そして、それはポジティブに受け止めていかないとなって。
どうあがいても、私はシステムを作る側の人間にはなれないし、なろうとも思わない。するとどう判断するか、どう乗っかるかが幸せに生きれるかどうかかなと考えている。

長くなって、めんどくさくなってきたんだけど、インチキな世界とどう向き合って、無関心を無くすか。
好きな人に無関心なんてありえないし、今いる世界に無関心なんてやっぱりおかしいと思う。
別になにかたいそれた事をしなくたって、本当のことが何かって考えたり、知ろうとしたり、周りの誰かに伝えたり、そういうことをしていかないと何も始まらない。

なにが言いたいかというと、花粉のお陰で死にそうです。



当時の私が何に一番憤慨していたかというと、「電力会社」「立法」「政治」「メディア」のオトナのズルさの部分であった。

それは今も変わっていないが、我々の手が届かない場所にいる社会という共同幻想を動かしていく人達がこんなにも民意を汲み取ってくれないということが悲しかったのかもしれない。

今も昔も、私自身に社会を変えられるとは微塵も思っていないが、twitterなどを通して誰でもメディアの媒体になる事が出来る今なら、周りの大事な人達を守ることなら出来るかもしれないと感じている。
現にエジプトのデモしかり、震災後のデマしかり、市民のそういった気持ちと行動が時代を少し動かすことが出来たのだろうと思う。


「テレビや新聞などのマスコミは本当の事を言わない、人間社会の中で本当の事を言うのは馬鹿と子どもだけだ。」という社会が成立する時代を完全に終えることは出来るようになるのだろうか。