2011/07/25

100,000年後の安全を観た。




核のゴミ。
普段の生活から排出されるゴミとは違う。
気の遠くなるような長い時を経なければ、無害なものにはならない。
もし今、世界にある全ての原発を廃炉にすることになったとしても、放射性廃棄物の存在から私たちは逃げることなどできない。
辞めても大量のゴミ、続ければさらに増える。

原発は要らない、いや必要だ、難しくてよく分からない。
原発に対してどのような意見を持っていようと、皆に平等にのしかかる問題が放射性廃棄物処理についてなのだ。
そして、それは今生きる私たちから、未来の生物にまで影響を及ぼす。
たかだか数百年前の江戸時代の文献を、私たち素人が解読することは、とても難しい。
にも関わらず、何万年後の未来の地球の住民に核のゴミの危険性を伝えねばならない。
そして、全てを隠して奥の方にしまっておくということも、可能であるかは誰にも分からない。

今生きている私たちの時代の中で「放射能がどういう影響をもたらすのか」「それをどうしていくのかと」いう、刹那の時間の問題と、遠いが確実に訪れる未来の問題を直視しなければならない時なのだろう。

考えなければならないことが多過ぎる。


2011/07/22

非被災者の生活


震災後母親のストレス増加「子供にイライラしてしまう」-MSN産経ニュース


まだ子どもがいない私の同世代の女の子達。
首都圏に住む彼女達の中には、「今後どうなっていくのか分からないのに、子どもを産むということは考えられない」と思っている人たちもいる。
子どもは授かるものだから云々...ということはあると思うが、そう考えざるを得ない人が存在する状況であるということが事実なのだ。
そんな中でも、すでに育児をしている若いお母さん、お父さんがいる。
なんとしてでも我が子を守りたいと、いつの時代のどんな親でも思っていることなのだろうと思う。

放射性物質という、今まで私たちの生活にはあまり馴染みのないもの。
震災から4ヶ月が経ち、よく分からないまま言葉だけが私たちの生活に溶け込んでいる。
それは目に見えないもので、素人の私たちがどれだけ勉強しても理解することは容易くはない。
国や既存のメディアは「直ちに影響は無い」「〜ベクレルまでは安全です」と言う。
ただ、それでもそんなものは受けないほうがいいに決まっているということは、誰もが思うことだろう。
そして、やはり大切なことは「分からないから」といって目を背けるのではなく、知っていってそこからどうするのかを考えるということだ。

このような状況で子育てをしている人たちの不安というのは、幼い子どもが近くにいない人たちと比べ、尋常ではないはずだ。
自分の子どもを守るために神経質になるのは仕方がないことなのだ。
特に、母親というのはそういうものだと、私は思う。
そんな彼女達を守ってあげることが出来るのは、やはり身近に暮らす人々しかいないのである。
多様な情報から、どうやってこの現実と向き合っていくのかを皆で考え、心ごと助け合うことが出来なければ、本当に何も進まなくなってしまうのではないかと危機を感じている。


<食べ物に関するリンク>


2011/07/09

池上彰と上杉隆(2)


そこから、私たち参加者のディスカッション。
幾つかある時事問題の中から「エネルギー問題(原発は是か否か)」「復興の財源について(増税はやむを得ないか)」の二つ。

原発について、脱原発した方が良いと考える参加者は会場の約6割、しない方が良いと考える参加者が約4割。
後は、非脱原発派と脱原発派が意見を交互に言い合うという内容でした。
一人、二人、面白いなと感じる意見をおっしゃる方はいましたが、基本的には池上氏が勝手に話をまとめ誘導するという形であったため、池上氏の妙な悪意を感じました。
この議題について池上氏は「脱原発について賛成・反対で分ける議論が多いが、長期的な意見は皆同じである」とオチをつけていましたが、議論の戻し方などを見ていると、どうにも彼は推進側の人間なのかなと感じました。ただ、「大事なことはこれからの生き方の問題。反対側の意見も聞くこと」ということについては、本当にその通りだと思います。

ちなみに私は脱原発すべき、それも今すぐに。だって電気足りてるじゃないですか。足りなかったらさっさと点検中の火力を動かせばいいでしょ。温暖化が本当に悪いのかも分からないのに、放射性物質を垂れ流すほうが全てにおいて悪影響だと考えています。

続いて、復興財源で増税はやむを得ないか、こちらは半数ずつで分かれていたようです。
進行の仕方は先ほどの議題と同じで、発言者はどうやら学生が多かったようで、頭だけで考えていて現実が見えていない意見が多いと感じました。だからと言って、私も大して変わりませんが。

私の意見は、増税すべき。その際、消費税を一律に上げるのではなく、項目をいくつにもわけ税率を変える。そして法人税は下げる。被災地にはバンバン税金を投入して復興する。でなければ地元の社会もなにもかも始めることすら出来ない。ただし、原発による被害は別。と考えています。

こうして、議論と呼ぶにはほど遠いディスカッションごっこを終え、10分遅れてきた遅刻ジャーナリストの上杉氏登場。
彼は一貫して同じ主張を続けている方なので、私には新鮮さは無かったわけですが、近くで話を聞き再認識することができました。
が、しかし、この日会場にいたどれほどの人が彼の伝えたいことを消化できているのか、ふと疑問に思いました。
特に学生の皆さん。
上杉さんのエンターテイメント性に憧れがあるのだろうと思いますが、話の意味が分かっていなそうな方が多かったように思います。
彼が何に憤慨し、現状を達観するようになったのか。
情報だけならいくらでも入手することは出来ますが、そこに付随する人の気持ちが大事なのではないかと思います。
それは今回の震災のことでも、なんでも変わらないと思います。
政治だろうが、なんだろうが、人間が人間らしく生きていくためにあるものだと言うことを忘れてはいけないのではないでしょうか。


<池上氏、上杉氏による市民とメディアのあり方のまとめ>

上杉氏:情報をクロスチェックし、多様性で集め、合理的に見る癖をつける。そこから活発な議論をする。教育された正しさに捕われないこと。
池上氏:それぞれの議員にも得意、不得意がある。政策というものは地元民に形作られるものである。政治家に積極的に陳情し、政治家の政策を作ってあげるということが必要。


どうやら、上杉隆が「黒い池上彰」なのではなく、池上彰が「黒い上杉隆」なのでは...と感じる今日この頃。

2011/07/08

池上彰と上杉隆(1)

7月6日水曜日、池上彰氏と上杉隆氏の『東京ディスカッション第2章』〜おもしろき こともなき政治を おもしろく〜に参加してきました。
生で池上氏と上杉氏の話が聞けるということで、非常に楽しみにしていたのですが、イベントの感想を一言で言えば「・・・。これがJCか・・・。」という感じ。

出発前は、友人のMケンが相も変わらずやらかしてくれて、「いいかんげんにして下さい。」とメールを送りつつも、無事に東京着。

受付開始30分前の東商ホールには、早くも若者たちの長蛇の列。
皆さん必死に読書をして予習をしていたようですが、その割にいざ討論となると挙手はしない。日本人の気質はこういうものだよなぁと思いました。

受付後、事前に座席が決まっていたことに違和感を感じる。
配られたレジュメには、応募する際に記入したアンケートのまとめと集計結果が載っている。
ただ、原発に関するものは一つも載っていない...。
今回は挙手しても指名されないだろうなと悟りました。

さて、内容の方は、第一部は池上氏が司会となり、参加者同士のディスカッション。と言う名の、池上先生によるJC的な洗脳をする授業。
第二部は池上氏と上杉氏によるトークセッション。


3.11の震災から復興において、なぜか復興担当大臣が復興を妨害している。
しかし、この政府を選んだのは国民であり、このような状況は日本もイラクも変わらない。
そこで民主主義とは何か。
EIUの2010年民主主義指数(Democracy index 2010)の発表のよると、日本の世界民主主義ランクは22位。26位までが、民主主義の国であると定義される。
民主主義の国というものは「議論を民意で集結する国」ということであり、そのためには「投票率の向上」「政党所属の党員を増加させる」「女性国会議員を増加させる」この3つが大切であると池上氏は述べていました。


2011/07/05

私たちの世代は原発批判をしてはいけない?!

ある日、飲み屋での出来事。
私がたまたま見たツイートに「原発いらねー、うぜーという方は明日はデモに行きましょうね。」というものがあり、「私たちの世代にはリアルな感覚だよね。」などと和気あいあい話していた。
そこでとある知り合いの方。
「君たちはさぁ、生まれた時から原発があって、その恩恵を受けてるんだから『原発うぜー』なんて言う権利無いんじゃないの?」

・・・?

そうじゃなくってさ・・・。

暫し二人で原発トークをしていたが、どうにもこうにもオヂサマは歩み寄ってくれない。
「電気は足りないんだよ。」と、オヂサマ。そこで「もし原発なくても足りてっていうデータや実績があったらどう?」と、私。
オヂサマ、話スルー。
「生活レベルを落とすなんて考えられるのか?やっぱ原発は必要なんだよ。」と、オヂサマ。話を続けても埒が明かないと悟った私は逃げ文句。
「まぁ、もしかしたら100年とかの未来に日本の技術があれば『家庭用小型原子炉』とか出来て、ヤバくなったら『やい、昨日ウチの原発がメルトダウンしちゃったもんで風呂に持ってて消防車呼んだだけぇがさぁ、間に合わないっけもんで家んボヤ出しちゃっただよー。で、放射能でウチんトコの町内しばらく立ち入り禁止んなちゃったけやー!ま、あれだな。一昔前なら、やれ一つの県だとか、やれ日本全部駄目んなっちゃうなんてあったみたいだけぇが、んー。ま、便利んなったもんだな!』なんて時代が来るかもね。ってことで、一杯奢って!」
対話の相手は話を聞かない。酒も入っている。更には目上の方的ポジションだと認識した私は、少しだけ悪そうな態度をとりながら話を終わらせ、ワインを一杯だけ奢って頂くことにしたのだった。

どういう考えを持って頂いても構わないが、きっと今まで色んな場所で原発に関する話が平行線のままだった理由というのは、こういう事だったのかなと感じた。
推進派も反対派も・・・。

私は人間関係に於いても、『相手の意見をただ聞く』『ありのまま受け入れる』『相手の気持ちになって考える』という事が基本であると思うし、コミュニケーションはそこから始まるものだと考えている。
ボールのぶつけ合いをしたって、それで以上。
話し合うということはそういうことじゃない。

私は原発に関しては反対側の意見を持っている。しかし推進側の人々の意見を見てみると気持ちは分からなくもない。
ただ、今の現状を体験してしまったら「でも原発こわいもん。」という気持ちに尽きる。
何か起きてしまったら、それは一日二日で済む問題ではなく、全てが収束するまで10年20年、何年かかるか分からない。それはチェルノブイリの事故を見ても明らかなことだ。震災から4ヶ月経とうとする今になってもなお、新たな事故が起き、放射性物資の放出を止めることも出来ず、世界中の皆様にご迷惑をお掛けしている事態。政府も電力会社も子どもたちを守ってくれない。最悪のケースばかり考えてもしょうがないという意見も耳にするが、今起きていることは想定ではなく現実なのだ。そして、我々はこの現実の中で生きていかねばならない。ただそれだけのこと。

ありのままを受け入れるということは難しいけれど、そうするしかない。



2011/07/01

考えていた事と考えていく事(2)


貧乏暇だし。

ということで、エアコン非設置住宅の我が家。
以前から計画していた、夏になったらスダレを取り付けよう作戦。
そして先日、スダレが意外と高かったため、代わりに父が購入してきたのが家庭菜園用遮光ネットだった。


2m×20mで3000円くらい。
確かに、ビニールハウスにこんなのが掛けてあるような気がする。

上はこんな感じらしい・・・


今回使用したものは遮光率約80%とのことであるが、それがどれほどの効果があるのかということは、ネット生活二日目の今でも残念ながら分からない。
ただ、シャッターを下ろして昼間でも電球生活だったため、健康的な生活を手に入れることが出来たことは間違いない。

友人が来れば「ココで寝起きしてるの?!」と言われる空間が我が家の居間であり、私の寝床なのだ。
居候はつらいよ。


6月30日、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」が福島の子ども10名の尿検査を実施し、全員から微量の放射性物質が検出されたと発表した。
放射性セシウム134が1.13〜0.14ベクレル/1L、放射性セシウム137が1.30〜0.43ベクレル/1L。

この数値がどれだけの影響を及ぼしているのか。

健康への影響は評価出来ない数値だと言うことではあるが、子どもたちが被曝しているという事実に変わりはない。
そして今後も、低線量での被曝を全国民が余儀なくされるという事実を受け入れ、どうやって自分や周りの人を守っていくのか。
物理的な被害だけでなく「人」としての精神的な部分への問題も重要になっていくだろうと考えている。

まず国や地方自治に求めていきたいこと。
とにかくあらゆる場所の放射能を計測し、子どもたちを守って欲しいということ。
地上1mだけ計ったところで、子どもは大人より地面に近い場所にいる。放射能に対する感受性も大きい。


静岡の新茶から放射性セシウムが検出されたということは、3月の福島原発水素爆発の際に静岡まで放射性物質が飛散したということ。
だとすれば、静岡のいたる土壌も放射能を計測するべきではないか。

国民はモルモットではない。