2011/07/05

私たちの世代は原発批判をしてはいけない?!

ある日、飲み屋での出来事。
私がたまたま見たツイートに「原発いらねー、うぜーという方は明日はデモに行きましょうね。」というものがあり、「私たちの世代にはリアルな感覚だよね。」などと和気あいあい話していた。
そこでとある知り合いの方。
「君たちはさぁ、生まれた時から原発があって、その恩恵を受けてるんだから『原発うぜー』なんて言う権利無いんじゃないの?」

・・・?

そうじゃなくってさ・・・。

暫し二人で原発トークをしていたが、どうにもこうにもオヂサマは歩み寄ってくれない。
「電気は足りないんだよ。」と、オヂサマ。そこで「もし原発なくても足りてっていうデータや実績があったらどう?」と、私。
オヂサマ、話スルー。
「生活レベルを落とすなんて考えられるのか?やっぱ原発は必要なんだよ。」と、オヂサマ。話を続けても埒が明かないと悟った私は逃げ文句。
「まぁ、もしかしたら100年とかの未来に日本の技術があれば『家庭用小型原子炉』とか出来て、ヤバくなったら『やい、昨日ウチの原発がメルトダウンしちゃったもんで風呂に持ってて消防車呼んだだけぇがさぁ、間に合わないっけもんで家んボヤ出しちゃっただよー。で、放射能でウチんトコの町内しばらく立ち入り禁止んなちゃったけやー!ま、あれだな。一昔前なら、やれ一つの県だとか、やれ日本全部駄目んなっちゃうなんてあったみたいだけぇが、んー。ま、便利んなったもんだな!』なんて時代が来るかもね。ってことで、一杯奢って!」
対話の相手は話を聞かない。酒も入っている。更には目上の方的ポジションだと認識した私は、少しだけ悪そうな態度をとりながら話を終わらせ、ワインを一杯だけ奢って頂くことにしたのだった。

どういう考えを持って頂いても構わないが、きっと今まで色んな場所で原発に関する話が平行線のままだった理由というのは、こういう事だったのかなと感じた。
推進派も反対派も・・・。

私は人間関係に於いても、『相手の意見をただ聞く』『ありのまま受け入れる』『相手の気持ちになって考える』という事が基本であると思うし、コミュニケーションはそこから始まるものだと考えている。
ボールのぶつけ合いをしたって、それで以上。
話し合うということはそういうことじゃない。

私は原発に関しては反対側の意見を持っている。しかし推進側の人々の意見を見てみると気持ちは分からなくもない。
ただ、今の現状を体験してしまったら「でも原発こわいもん。」という気持ちに尽きる。
何か起きてしまったら、それは一日二日で済む問題ではなく、全てが収束するまで10年20年、何年かかるか分からない。それはチェルノブイリの事故を見ても明らかなことだ。震災から4ヶ月経とうとする今になってもなお、新たな事故が起き、放射性物資の放出を止めることも出来ず、世界中の皆様にご迷惑をお掛けしている事態。政府も電力会社も子どもたちを守ってくれない。最悪のケースばかり考えてもしょうがないという意見も耳にするが、今起きていることは想定ではなく現実なのだ。そして、我々はこの現実の中で生きていかねばならない。ただそれだけのこと。

ありのままを受け入れるということは難しいけれど、そうするしかない。



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