2011/09/12

これからの生き方の話をしよう(3)南相馬市議会議員に聞いた南相馬の現状を受けて





2011年9月11日

震災から半年、アメリカ同時多発テロから10年
この日からの一週間は、日本各地で原発に対するアクション週間となるようだ。

10年前のこの日の私は高校2年生で、テロの翌日にフジテレビの「ごきげんよう」を深夜1時半頃友人宅で見て「夜中にみるとさらにつまんない番組だな。」という会話をした記憶がある。

テロの映像自体もリアルタイムで見たはずなのに、現実感がなさすぎてなんだかよく分からなかったのだと思う。想像力が乏しかったのかもしれない。

今年の9.11は日曜日ということもあり、原発立地県でありながら、市民のリアクションが割と薄い静岡でも浜松市で「やめまい!原発浜松ウォーク」という集会とウォークが開催され、静岡市では菜の花パレードを主催したふきのとうがゲストに南相馬市の但野謙介議員を招き「みんなで考えるエネルギーカフェ」という懇談会を開催した。
共にUSTREAMの岩上チャンネルで中継をしていたので、興味のある方はアーカイブもご覧になってください。




【みんなで考えるエネルギーカフェ】

ゲストの但野議員は、NHKの記者、経営コンサルタントを経て2010年に南相馬市議会議員にトップ当選。
当初は原発に対しては中立の意見を持っていたが、今は脱原発の考えにシフトしたとのこと。
そんな彼が訴えることが「 "現実的" 脱・原発のススメ」だ。

南相馬市という土地自体が、エネルギー業に強く支えられている側面を持っている。
ただ、事故が起きた土地だからこそ、その危険を他のどこよりも主張することが出来る。
それでも原発を持つ町は、脱原発を考えるのならその分の収入をどうするのかという現実にぶち当たる。
実際問題として、どうやってご飯を食べていくのか。
ただ「反原発」を謳うのではなく、建設的な方法を考え行動しなければ、何もしないことと同じだと但野議員は言う。

脱原発に反発する人がまず入れるツッコミは、やはり金の問題。
街作りの為の金をどうやって手にいれるのか。
生活がある以上はどうしても逃げられないことだ。

にも関わらず、御前崎を見ていると、原発がある地域は潤っているのか?と考えれば、なんともそうは思えないのは私だけだろうか。
経済活動という観念の置き場を変えるだけでも、少しは道が拓けるのではないかと思う。

被災地はもとより、日本全国、地球レベルで考えて非常時だと考えても決してオーバーではない時代。
そこで人間が生きる上での最優先事項が「命」であるということは、誰の目にも明白なはずである。
殊更、原発に関して言えば、日本の国土の場所というのは、原発との相性が最悪もいいとこのはずなのだ。
その上、故意にECCSを3回停止させたことによりメルトダウンが進んだという驚きの報告。
自然災害と人災、同時に起きることはもちろんあり、それを想定外と言い切り、今もなお収束の目処は立たない。
人間がコントロール出来ないようなものを使い続けていくことは、やはり、どう考えても不可能ではないだろうか。
途方も無い多額の金をかけて、安全性の高い原発を作るのか。
それとも、金をかけずに「ちょっと危険な」原発を作るのか。
もう今の日本ではどちらもNGだろう。

電気代が高かったら、お金がある人は使う。
ない人は使わない。
発電方法も太陽光だろうがLNGだろうが圧電素子だろうが、分散して適度に使えばいい。
CO2の排出なんて、どうしたってある。
温暖化ってなに?どういうもの?本当に温暖化してるの?
悪いことだとして、排出の削減方法を他にも考えていけばいい。
え?ここにも利権?
人それぞれ、持ってるもので暮らせばいいじゃん。
私お金あるわけじゃないけど、助けてくれるひともいるし、楽しく暮らしてるよ。
代わりにお金で買えないものをあ・げ・る (´・ω・`)
気持ち悪い文章だけど、共同幻想の中で生活するってそういうことではないだろうか。

人は経済という幻想に固執してきたが、もうそんなものはナンセンスだと思う。

先日twitterでも発言したが【「私は反戦運動に参加しません、しかし平和活動なら参加します」ってマザーテレサが言ってたけど、原発に関してもその考え方は当てはめられるかも。例えば、反原発を主張して原発の存在や推進派の存在を認めるより、代替エネルギーなどの推進をするってほうが、なんだか未来が明るくなる気がする。】というように最近は考えている。
怒りのエネルギーを他の形に昇華したい。



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